12月17日カザン半日観光

須田雅美

12月17日
朝食をとり、お出かけの準備♪
主催者側が公式リハーサルがある選手や役員以外のジャッジや招待客のために市内観光を準備していて下さったのです☆
ロシアのガイドブックを購入しても、カザンのページはありません。私は偶然にも前回の旅行でアエロフロートの機内誌に載っていた記事を読み、情報を少しだけ得ていました。でも市内観光となると地図だって英語のものしかありませんから、ツアーに便乗できてラッキー☆至れり尽くせりじゃのう!ポポフさん、スパシーバヽ(^o^)丿

<一緒に市内観光に出かける父と息子>

北條先生は観光が有るとは想像もしていなかったらしく、帽子も手袋も無し&普通のビジネスシューズという出で立ち…大丈夫かな?

英語を話すロシア人ガイドさんとともに観光バスに乗り、まずは2000年にユネスコ世界遺跡に登録されたカザン・クレムリンに行きました。前夜は真っ暗で分からなかったけど、ホテルから歩いて行けそうな距離にあったみたい。スゴイ雪が降り積もってる!と前夜思っていたのは、1500年頃に作られたここの城壁やほとんどの建物が真っ白だったせいでした。

<砂岩で作られた城壁や建物は真っ白>

クレムリンの入口付近に、有刺鉄線で縛られた苦しそうな男性像…ナチスの捕虜となって処刑されてしまったМуса Джалиль(ムサ・ジャリール)というタタール人の詩人。捕虜時代に看守の目を盗んで多くの詩を書き遺し、死後レーニン賞を受賞したそうです。

<ナチスの捕虜となった詩人サ・ジャリールの像>

<カザン・クレムリンの全貌>

クレムリンとは要塞(戦略上の重要地点に設けられる、主に防衛を目的とした軍事施設-大辞林より)という意味。でも現在では軍事的な建造物だけでなく、大統領官邸やイスラム教のモスクとロシア正教の教会なども含む歴史的、文化的な建造物の集合体となっています。クレムリンというのは英語表記の読み方で、ロシア語ではКремльクレムリ、またカザンで話されるタタール語ではкирмәнеキルマニェというみたいです。
入口付近にあった地図にはQRコードがあり、携帯電話でも情報を得ることができました…ロシア語のサイトですが(^_^;)この写真のQRコードでも読み取れますよ。

<QRコードを読み込んで情報を携帯できます>

このクレムリンの中で、ひときわ目を引くのは美しいブルーの玉ねぎ屋根を持つイスラム教の寺院クォル・シャリーフ・モスク(Колшәриф мәчете:タタール語)。古くからあったモスクはイワン雷帝によって破壊されてしまいましたが、2005年に行われた建都1000年を祝う祭典に合わせて再建されました。

<イスラム教のクォル・シャリーフ・モスク>

イスラム教国のサウジアラビア王国やアラブ首長国連邦、そのた企業や個人からの多大の寄付を得て約1億5千万ルーブル(約3億8千万円)の建設費を掛けたロシア連邦国家レベルの一大事業だったそうです。
モスクは信者の為の神聖な祈りの場所なので普通は靴を脱いで入るのでしょうが、ここはイスラム教博物館として観光客に開放しているため、私達は靴の上にビニールのカバーを履いて入館しました。

<ビニールの靴カバー:空港でも検査場で履かされます>

中に入るとまず、宝石が散りばめられたものすご~いコーランが展示してあります☆

重さ800㎏…こんなコーランいったい誰が読むんだ(=_=)飾っておくだけでご利益があるのならば私もあやかりたいけど。本物の宝石だからミニチュア版でも高級でしょうねぇ。でもご利益もミニチュア版になっちゃうか(-ω-;)ウーン
土曜日だったからなのかお日柄が良かったのか、結婚式をするカップルをチラリと見ることができました。ウェディングドレスはすっきりシンプルで素敵です。

<ムスリムの花嫁さん>

とても美しいモスクの中…本当は写真を撮ってはいけなかったのかな?あまりに美しくて見とれていたのでガイドさんの注意を聞きそびれたかもしれません。

<美しくモザイクが施された天井とシャンデリア>

<メッカの方向に向いています>

このモスクの中は宗教上の理由で女性は帽子を脱いではいけません。私は毛皮の帽子をかぶっていたので、暑くて途中何度か脱ぎそうになってしまいました(~_~;)
外では寒そうにしてる北條先生を見て、ロシア人の先生がマフラーを貸してくれましたよ。ロシアのバーブシカ(おばあちゃん)みたいです(^○^)アハハ ビジネスシューズの北條先生は、道が凍っているのでツルツル滑って普通に歩けません。スノーブーツを履いてた私が腕を組んで歩きました・゜ヽ( ´∀`)人(´∀` )ノ・゜゚・

<バーブシカみたいになった北條先生>

国民の大多数がロシア正教だと思っていたロシア連邦の都市で、イスラム教のことをキリル文字で書いてあったりするのがとても不思議に感じました。西暦2012年はイスラム歴で1433年なんですって!どういう数え方なのかなぁ?

<今年は1433年です!?>

タタールスタン共和国の歴史は大変古いようです。カザンにはヴォルガ川という川が流れていますが、11世紀初頭にヴォルガ・ブルガール人達がこの地に都市を作り、スカンジナビアとバグダッッドを結ぶ商業都市として栄えました。その後1420年代からモンゴルのハン族が襲来して1430年代にカザン・ハン国ができました。1552年にIvan the Terrible(イワン雷帝)に制圧されるとイスラム教徒であるタタール人は迫害を受けモスクもロシア正教の教会に変えられてしまっていたそうです。イワンの馬鹿って童話もあるけど、イワン・ザ・テリブルってホントにヒドいなぁ(-“-)で、その後ソ連の前身であるロシア帝国の1都市となりつつも何度か紛争はおきましたが、現在では人口の50%強のタタール人とロシア人による商工業都市としてロシア連邦におさまっています。
このヴォルガ川で7月に遊覧船事故があったことはちょっとしたニュースになっていましたが、とても大きな川。静岡の大井川より広いかなぁ?冬なので川の表面は全部凍っていて、真っ白でした。「氷に穴をあけて魚が釣れるのか?」と北條先生が聞いてました…食いしん坊だヽ(^o^)丿

<左の白い部分は全部ヴォルガ川!>

カザンにはたくさんの教育機関が集まっている文教都市でもあり、1804年に創設されたカザン大学ではトルストイやレーニンも学んだということです。日本人留学生もいるとガイドさんが言ってました。彼女もこの大学在学中に日本語を学んだそうです。カザン大学の他、高等教育機関、音楽学校、スポーツ学校などが「こんな街に?」というほどたっくさんあるそうです。

そう言えば、タタール系のダンサーは跳躍力がある…ってバレリーナだった頃に聞いていたことを思い出して調べると、明先生のコラム「世界ショーダンス選手権」の最後に出てきた伝説的なバレエ・ダンサー「ルドルフ・ヌレエフ」もこのヴォルガ・タタールの血を引いていることを知りました。
YouTubeを深く掘って探し当てたヌレエフが踊る「若者と死」の動画を張り付けます(^_-)よかったら明先生の方に張り付けられたバリシニコフと見比べてみて下さいね~!


寄り道をしましたが、その後ツルツルの道を歩いてカザンの斜塔スュユンビケ(Сөембикә манарасы:タタール語)の近くへ…なんと198センチも傾いちゃってるって(@_@;?)過去に傾きを安定させるための工事が行われているので、今のところ隣の美しいタタールスタン共和国大統領公邸の上に倒れこむこと無く立っていられるようです。

<スュユンビケとタタールスタン共和国知事公邸>

その後ランチに寄ったのは地元で乳製品を生産している会社が経営する「Катык」カティークというレストラン。カティークとはタタール語で、乳製品である「サワーミルク」の意味なのだそうです。
ウェディングパーティの準備がしてあるお部屋を「ん?やはり今日は大安ですか?」と横目に見つつ、私達が通されたテラス席はトルコ石を思わせるブルーのカーテンと椅子カバーが爽やか(^o^) 今回のジャッジの1人、イタリアのルアナ・ファニーと記念撮影☆4月に世界選手権で明先生と一緒にジャッジをしたルカ・ファニーの妹さん。彼らは兄妹カップルとしてアマチュア時代から活躍していたんですよ。

<トルコ石を思わせるブルーが美しい部屋>

<同期のダンサーLuana Fanniと一緒に…>

テーブルの上にはフルーツやアペタイザーが並べられてとてもカラフル☆
ソ連時代には、こんなに色とりどりの食品がテーブルに並ぶなんて考えられませんでした。しかも冬に南国のフルーツを拝めるなんてΣ( ̄ロ ̄lll)。昔は物資が流通してなくて、袖の下を渡せば何でも手に入りましたが、普通の人々は何でも並んで買わなければならない時代でしたからねぇ…。
なんか変わっちまったなぁ(´・ω・`)サミシィ…。

<色とりどりの食品がテーブルに☆>

このレストランは、若く美しいタタールスタン人女性アリーナさんのご招待。この地方の郷土料理やロシア料理をはじめ、工場直送の乳製品をふんだんに使った料理などがふるまわれました。食べ切れないほどのお料理を頂きましたが、そのなかでもカザンやタタールスタンの郷土料理をご紹介します。
郷土料理の「スプ・カティーク」は、カティークを使った酸味のある濃厚なスープ。鶏のつくねとお米が入っています。ロシア料理ってしょっぱいのですが、ご多分に漏れずとってもしょっぱくて、パスタ用のチーズソースをミルクで少しだけ薄めたものに大量の塩を入れたような感じでした。私は好きだなぁ(#^.^#)

<カティーク・スープ>

「マンティ・パ・カザンスキー」はカザン風蒸し餃子。中身はエスニックな香辛料を使った挽肉だけ!というシンプルなジャンボ餃子を、クルンと丸くマントウ(饅頭)にして蒸したみたいな食べ物。カティークソースを付けて頂くと、強烈な香辛料の味や香りがマイルドになります。羊肉が苦手な明先生は、一口食べて「クサッ!これ絶対に羊肉だ(-_-メ)」と自分からお皿を遠ざけちゃった。でも中身はビーフだってガイドさんが言ってたけどなぁ(-_-;)

<マンティ・パ・カザンスキー>

前菜から始まって、これでもか!っていうほど美味しいくて珍しいお料理を頂いた最後に、この地方のお菓子とお茶が供されました。
中にカッテージチーズ、お米、ナッツやドライフルーツが詰まったミンスパイのようなグバディヤ(гөбәдия)、揚げドーナツにはちみつでコーティングをしてヘーゼルナッツなどを周りにくっつけたチャクチャク(чәк чәк)鳥の舌という意味を持つ、ふわっとした甘い揚げ煎餅コシュ・テーレ(кош теле)の3つはタタールスタン地方の郷土菓子。こんなに粉物を食べたら太っちゃうよ~(>_<)と思いながらも、全種類2口ずつ味見させて頂きました(^_^;)美味しかったです。

<郷土のお菓子グバディヤ、コシュ・テーレ、チャクチャク>

食後のお茶…というと、コーヒーと紅茶が一般的。このタタールスタンではお茶のお作法が存在するぐらい、紅茶の方が一般的です。ロシア語で紅茶はЧерный чай…黒いお茶と言われ、お茶の部分は「チャイ」と発音します。「茶=Chá=Cha=Чай=Chai=Thé=Tè=Tee=Tea」昔から流通していた食べ物の呼び方って、世界中で似ていますよね。

コレ、紅茶の中に何を入れてると思いますか?ミントの葉っぱぐらいは判別できますね?
本来のお作法はサモワールを使って…だそうですが、簡略的にティーポットからブラックティーを注ぎ、その中にドライフルーツのデーツ(ナツメ)とプルーン、ミントの葉、レモンの絞り汁、それにたっぷりのお砂糖(角砂糖2個!)を全て入れて頂きます。甘いんだけど酸味もあってフレッシュで、食後にぴったりの飲み物でした。皆さんもお試しあれ!

<この飲み方、すごく気に入った!!>

お食事を楽しくたっぷりいただいた10名のツーリストは、急いでホテルに帰ってジャッジや観客に変身する準備をし、ようやく世界ショーダンス選手権会場に向かったのでした。