祝還暦!エスパンと私達

須田雅美

「来年の3月末、私の60歳の誕生パーティをジャカルタでやろうって言ってくれてる人がいるのよ。でね、もし良かったらそこで踊ってもらえないかしら?」 …エスパンにこう言われたのは2011年4月末、エスパンが住むバリ島に留学をしている時でした。

(2011年4月末 パリ島のエスパンのご自宅で…)

私と明先生はEspen Salberg(エスパン・サルバーグ)先生の事を「教授」と呼んでいます。ダンスに関することは何を聞いても答えが返ってくるからです。 元世界ラテンチャンピオンであり、世界的に重要とされるコーチであり、芸術的な作品を世に送り出す振付家であり、ダンスウェアのみならずアパレル業界へも進出するデザイナーとしても活躍をする…ハイパー忙しいダンス界の巨匠、エスパン教授の還暦のお祝いとあらば、どんなに遠くたって駆け付けねばなりません☆私達はそのように声を掛けて頂いただけでもありがたく、嬉しさで頬がゆるむのを抑えつつ「おめでとうございます☆もちろん喜んで踊ります!!」と即答しました。 その時点では日にちも3月末としか決まっておらず、ダンサーはラテンとボールルームの世界チャンピオン2組だけが決定していました。正式なオファーが来るまでは…と、秋頃まで公に発表するのは控えていましたが、ホントは他人に自慢したくてウズウズしていたんです(≧▽≦)☆

私達はドニーとゲイナーに師事して日本チャンピオンになりましたが、実は私達、カップルを組んだ頃から教えて頂いていた佐藤明彦先生と川田巳夏先生がエスパンに習っていたので「留学をするならノルウェーのエスパンのところに行きたい!!」と夢を抱いておりました。ところが留学を本気で考える時期になってレッスンをお願いしたところ「忙しくてレッスンできません」とあっさり断られてしまったのです(T_T)それじゃあ…ってことで当時のファイナリストだったノルウェーのヨハン・エフテダルに習うのはどうでしょう?と北條章宏先生と山口慶子先生にご相談すると、「明君はボディが柔らかくて表現も内側にこもりやすいから、ヨハンのところに行ったらますます表現がソフトになって弱くなっちゃうと思う。だからドニーのところに行って男性らしさを身に付けた方が良いと思うよ」と慶子先生からアドバイスを頂き、章宏先生がお話をして下さったおかげで、当時はレッスンをしないと有名だったドニー・バーンズとゲイナー・フェアウェザーのレッスンを受けるようになったのです。 え〜っと何が言いたかったかって、そう、最初はエスパンに習いたかったんです、私達!

ドニー達に習い続けてトントン拍子でチャンピオンになった頃、北條ダンススクール出身の篠田忠先生のスクール開設10周年パーティで、エスパンがプロデュースするプロショータイムに出演できることになりました。「やった〜!憧れのエスパンに振付けをしてもらえる〜(*´ω`*)」と喜びながらも、もんのすご〜く緊張をしたことを覚えています。
その時エスパンが私達の為に用意をしてくれた曲はDulce Pontes とAndrea BocelliのデュエットO Mare E Tuでした

エスパンの振付けはそれまで私達が踊ってきたドニーの振付けとはひと味もふた味も違い、流れがとても不自然に感じてしまった私…振付けがなかなか入ってこなかったなぁ((+_+))ドニーならそんな時「バッカじゃない?」と日本語で吐き捨てながら私の頭をぶっ叩くかお尻を蹴り上げ、大きくため息をついてソファーに座りこむところを、教授は根気よく私に説明をして下さり、逆に申し訳なくて…さらにパニクってしまったのを覚えています。振付けの進め方も曲の内容を説明するところから始まったので作品の雰囲気を想像しやすく、不慣れな振付けはともかく、バレエ畑で育った私にとっては非常に演じやすい!という印象でした。そのショーをパーティで見ていた、私達の踊りが大嫌いなハズの天敵のような先生が「今日のダンス良かったよ。あんな風にも踊れるんじゃないか」と声を掛けて下さったことで大きな満足感を覚え、いつかエスパンに習える日が来たらいいな…という気持ちが再びムクムクと膨らんだのでした。

ドニー&ゲイナーとエスパンの関係はもともと師弟関係なのですが、常にくっついたり離れたりしています。でも心に迷いがある時、彼らが頼ったのはエスパンでした。そのおかげで私達もロンドンでエスパンのレッスンを受ける機会に恵まれ、その後、当時エスパンが拠点としていたローマまで通うようになりました。 偉大な故ウォルター・レアード先生が書き記したラテンダンスの正しい理論に基づく丁寧な指導と同時に、他のジャンルのダンスから取り入れた運動を分析してラテンダンスの動きとして指導ができるエスパン教授…私達は単に振付けをしてもらいたいというわけではなく、もっともっとラテンダンスの理解を深めるためにバリ島までレッスンを受けに出かけています。

(パリ島にあるエスパン教授のスタジオ)

エスパンにはこれまで数えきれないほど何作品も振付けてもらっています。私達が自分達の引退披露パーティで踊った作品は全てエスパン作品で、中には私がトウ・シューズで踊る…という世界初の試みをした衝撃的な作品もありました。しかし、特に私達の転機となったかのような印象のある作品は「Ballad For Buenos Aires」というセグエでしょう。これはエスパン自身が「これで踊ってみたら?」と音楽も提供してくれた、日本人が大好きなタンゴテイストの曲に振付けられた作品で、それまでの「明るい」「楽しい」「速い」という私達のイメージを「大人の男女」に変えてくれた作品でした。

他にもエスパンには、ブラックプールやUKのコングレスで彼の作品としてショーダンスを披露させて頂いて世界レベルの観客からスタンディングオベーションを受けたり、日本ではレクチャーのモデルをつとめさせて頂いたり、ダンサーとしての人生にいくつものハイライトを作って頂いたことに心から感謝しています。

そんなワケで、3月のスーパージャパンカップの会場内Crystal CloverさんのブースにてデザイナーEspen Salberg自らチョイスしてくれた数着のダンスウェア「Elite Collection」を購入。

心から尊敬するエスパンのために…と、細部までこだわった練習を重ね、インドネシアのジャカルタに旅立ちました。